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2013年11月30日土曜日

言葉にできない オフコース

1982年(昭和57年)2月1日発売、同年間チャート不明。週間最高37位。
作詞/作曲_小田和正 編曲_オフコース。


前年(1981年)の暮れに発売されたアルバム「over」からのシングルカット。昔はこういうシングルカットが少なくなかったと思います。オフコースファンはシングルよりもアルバム派(たぶん)でしょうから、レコード売上としては大きなものではありませんでした。

これは発表時よりも、その後により評価された曲でしょう。現に多くの歌手にカバーされています。オフコースの曲の中で一番多くカバーされているのではないでしょうか。今後も歌い継がれていくであろう一曲です。


私がこの曲で真っ先に浮かぶイメージがこの映像。武道館解散コンサートでの小田さんの涙です。いま観るとちょっと出来過ぎな感じがして「これは演出か?」なんて勘繰りたくなってしまいますが、素晴らしいステージに変わりありません。小田さんの歌が途切れても淡々と演奏を続ける他のメンバーがカッコいいです。

ステージのスクリーンに映し出されるひまわりは映画「ひまわり」の版権を一部買い取って使っているそうです。この映画については別ブログヒトリネコのヒトリゴト」で取り上げていますので、よろしかったらそちらもご覧ください。

1番の終わり「こころ哀しくて 言葉にできない」2番は「それがくやしくて 言葉にできない」。それが間奏後「あなたに会えて ほんとうによかった 嬉しくて嬉しくて 言葉にできない」へと昇華することに心動かされます。ピアノだけになるアレンジも絶妙(定番といえば定番ですけど)。

最後にどうでもいいことですが、イントロから「ラララ〜」になるとき、いきなり転調するのがずっと気になっています。なんかビックリするんですけど、そういう効果を狙ったのですかね?


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2013年11月23日土曜日

少女A 中森明菜

1982年(昭和57年)7月28日発売、同年間チャート34位。
作詞_売野雅勇 作曲_芹澤廣明 編曲_萩田光雄。


スーパーアイドル中森明菜のセカンドシングル「少女A」。ジャケット写真、ちょっとむくれた表情がいいですね。彼女はこの曲でブレイクしました。作詞家売野さんの出世作でもあり、この後に売野・芹澤コンビは初期のチェッカーズに楽曲を提供、ヒットを連発します。


低音域で息継ぎせずに突っ走るAメロから「じれったい じれったい〜」への展開は、当時インパクトを受けました。個人的に好きなパートは、2番のAメロ「〜胸の高鳴り 耳があゝ熱いわ〜」のところ。「あゝ」のニュアンスがセクシーです。この時まだ17歳。話してる姿は年相応に見えますが、歌う姿は大人びて見えますよ。

この可愛いルックスと落ち着いた声質。声はすでに伝説のアイドルとなっていた山口百恵さんを彷彿とさせますね。本人も意識していたのか、オーディション番組「スター誕生」で百恵ちゃんの「夢先案内人」を歌っています(同番組の史上最高点で合格したそうです)。

以前、薬師丸さんの時に書きましたが、この1982〜3年の頃は「松田聖子」「中森明菜」「薬師丸ひろ子」の3大アイドル(個人的見解)が並び立っていました。三者三様の魅力がありますよね。その中で明菜さんの歌唱力は頭ひとつ抜けていたと思います。

近頃は表舞台から姿を消している明菜さん。戻ってきてまた歌ってもらいたいと切に願います。

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2013年11月17日日曜日

センチメンタル・ジャーニー 松本伊代

1981年(昭和56年)10月21日発売、1982年間チャート53位。
作詞_湯川れい子 作曲_筒美京平 編曲_鷺巣詩郎。


伊代ちゃんのデビュー曲で最大のヒット曲「センチメンタル・ジャーニー」。彼女の登場は衝撃でした。初めて聴いたのは、たぶんチョコレートのCMだったと思います。

まず伊代ちゃんの声がすごい。この「鼻にかかった」という表現では物足りない「鼻詰まり」な声質。そのくぐもった声が奏でる不安定な音程は、聴くものを何とも言えない不安な気持ちにさせました。

そんな不安な気持ちのままAメロ、Bメロと聴いていくと、サビ前で「伊代はまだ16だから」と腕をクルクル回し自分を指さして歌うのです。初めて聴いた時はビックリしました。歌詞に自分の名前入らないですよ、ふつう。でもそれが強烈なインパクトを与えたからヒットしたのでしょうけれど。


「何かにさそわれて〜〜ん」ってところがいい味出してます。振り付けもキュート。そして曲がいい。筒美さん、さすが大御所です。

サンタさんの格好をしてバックで歌ってる二人は「キャプテン」。伊代ちゃんだけでは歌唱力に不安があったのか、テレビで歌うときにいつも二人がサポートしてました。その後「麻生真美子&キャプテン」としてデビュー。残念ながらそれほどヒットはしませんでした。

いま聴いても破壊力バツグンの伊代ちゃんでした。


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2013年10月30日水曜日

男の勲章 嶋大輔

1982年(昭和57年)4月28日発売、同年間チャート25位。
作詞/作曲/編曲_Johnny


横浜銀蝿Johnnyとくれば、次は嶋大輔でしょう。「男の勲章」は嶋さんの2枚目のシングルで最大のヒット曲。この年は1枚目「Sexy気分の夜だから」と3枚目「暗闇をぶっとばせ」もそれぞれ年間チャートで、88位と42位にランクされています。

この頃(1982~83年頃)の銀蝿一家は歌謡曲界の一大勢力でした。他に杉本哲太がいた「紅麗威甦(グリース)」や岩井小百合なんてアイドルもいましたね。


Johnnyさんはこの曲を自分で歌うつもりで書いたと、何かのインタビューで聞いたような記憶があります。でもかわいい後輩に譲ったのだと。結果的に大成功でしたね。

今年の春、嶋さんは芸能界引退宣言をし政界を目指しましたが、結局断念しました。ダメですよ、政界なんか行っては。「つっぱることが男のたったひとつの勲章だって」って言ってたじゃないですか。

なぜ芸能人はすぐ政治家の口車に乗り、客寄せパンダとなってしまうのか。それが芸能人の宿命だよ、と言われればそれまでですが、私は毎度悲しく思うのです。


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2013年10月23日水曜日

ジェームス・ディーンのように Johnny

1981年(昭和56年)11月18日発売、1982年間チャート16位。
作詞/作曲_Johnny 編曲_TCR横浜銀蝿RS


TCR横浜銀蝿RSのギターJohnnyのソロデビューシングル「ジェームス・ディーンのように」。Johnnyさん光ってましたよね。銀蝿の中でひとりだけサングラスの形違うし、ヒゲ生えてなくてお肌ツルツルだし。清涼感漂い誠実そうなこのルックスですから、女性ファンが放っておくはずもなく、バレンタインデーには4トン車一杯のチョコが届いたそうです。


おいでCome on 暗い瞳をして すねていないで 走りだそうぜ〜」おお、変わらずカッコいいですねぇ。当時私は銀蝿よりもJohnnyさんのソロの方が好きでした。次のシングル「$百萬BABY」もヒットしましたね。

ただ改めていま聴くと、Johnnyさんの声はメインボーカルとしてはちょっと弱いかな、と感じてしまいました。対して銀蝿の翔さんの声は、まぎれもなくメインボーカル声なんです。

Johnnyさんは典型的なバンドのギタリスト声なんですよね。例えばTHE STREET SLIDERSの蘭丸(土屋公平)、BOØWYの布袋寅泰のような。これは生まれ持った声質の話なので、どうしようもないことです。それでもカッコよさを減じる要素には全くなりえませんけどね。

活動停止後、Johnnyさんはキングレコードに入社し、的場浩司中山美穂などの制作ディレクターをしていました。そして現在はキングレコードの役員と関連会社の社長になっているそう。大出世ですね。今も昔もステキな生き方をされている方だと思います。


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2013年10月13日日曜日

赤いスイートピー 松田聖子

1982年(昭和57年)1月21日発売、同年間チャート12位。
作詞_松本隆 作曲_呉田軽穂 編曲_松任谷正隆。


数ある聖子ちゃんのヒット曲の中でも、私のベストワンは「赤いスイートピー」。何度聴いても飽きのこない、アイドル曲というワクを超えた時代の歌になってます。聖子ちゃんの歌はどれも好きなんですが、これは別格。

作曲の呉田軽穂とはユーミンのペンネーム。「グレタ・ガルボ」をもじって付けた名だと、当時ベストテンか何かのテレビで聞いた記憶があります。聖子ちゃんのような、ど真ん中アイドルに、松任谷由実の名は出せぬ、ということなんでしょうか。


うーむ、完璧です。無駄な要素がひとつもありません。本物のスターというのは、歌の巧拙の議論など関わりのない、世俗から超越したところに存在するもの。聖子ちゃんはただ自分の声で普通に歌うだけで、他を寄せ付けない高みにおわす本物のスター。それにしてもこの声は絶品ですね。

この曲最大のチェックポイントは、1番Bメロの「何故 知り合った日から 半年過ぎても〜」の「半年」の歌いまわし。そこは2番(歌詞で書くと「チラッと」ですが歌い方は「あっ」で音符4つ)の譜割りと同じに「半年」の「」と「」を2つの音符に分けるほうが自然な気がするのですが、聖子ちゃんは「はん」と1音符で詰めて歌っています(そのため1番の音符は3つになり2番と合わない)。

こういう歌中の引っ掛かり、つまづきのようなものは曲のアクセントとなります。ただ右から左へ流れていくんじゃなく、心に足跡を残すのですよ。その足跡を確かめたくて、何度も聴きたくなるのです。この譜割りはユーミンの指示なのか、たまたま聖子ちゃんがそう歌ったのか。どちらにしてもステキな選択でした。「半年」という言葉が生きてますもんね。

あと、2番のサビが繰り返すところの、歌のクロス。私はこのクロスするボーカルというのが好きじゃないんですが、この曲は許せます。ここはクロスするのが必然だと感じるから。

繰り返しサビの歌詞は「好きよ 今日まで 逢った誰より〜」なんですよ。煮え切らない彼に対して「好きよ」と、彼女のほうから一歩前へ出るわけです。その想いが、間を開けずクロスして突っ込む歌とリンクして胸に迫ってくるのです。

かなり熱く、ひとりよがりの論を展開してしまいました。それでも言い尽くせないほど、魅力が詰まった歌なのであります。ノスタルジーからくる過大な美化だったらすみません。


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けんかをやめて 河合奈保子

1982年(昭和57年)12月5日発売、同年間チャート64位。
作詞/作曲_竹内まりや 編曲_清水信之。


アイドル「河合奈保子」は1980年デビュー。西城秀樹の妹というキャッチフレーズがついてましたね。「HIDEKIの妹オーディション」で優勝して芸能界に入ったわけですから当然です。明るく元気で可愛らしい顔立ちと、いまのグラビアアイドルにも引けをとらないグラマーなスタイルで人気がありました。同級生に熱烈なファンがいたのを憶えています。

そのキャラクター同様、発表される曲も元気なものが多かったです。まあアイドルですからね。そんな河合さんの10枚目のシングルである「けんかをやめて」は、元気な女の子からちょっと大人へ、そんな転換点だったのではないでしょうか。


いかにも「竹内まりや」って雰囲気の曲ですね。「スマイル・フォー・ミー」とか明るい曲の彼女の声は、まるでワックスがかかっているかのようにツヤツヤ。それが少し眩しすぎて苦手だったのですけど、この曲はいい具合にワックスが抑えられていて私の好み。しかし、、歌詞の世界の彼女は酷い女です。

」は思わせぶりな態度で、ふたりの男性の心をもてあそびます。その結果、男たちは彼女を奪い合い、諍いを起こしている。それを見た「」は「けんかをやめて 私のために争わないで、、」と懇願するのです。

きっと彼女はどっちも好きではないのでしょう。「ボーイフレンドの数 競う仲間たちに 自慢したかったの」ただそれだけなんですよ。このキレイなメロディで河合さんの声でしっとり歌われると、まるで彼女が失恋でもしたのかと勘違いしてしまいそうになります。これは悪女ですよ。

まあそんなことは彼女が八重歯を覗かせニコッと笑えば、その可愛さで許されてしまうのでしょう。美女は世に憚るものです。

けんかをやめて - シングルA面コレクション
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2013年10月12日土曜日

悪女 中島みゆき

1981年(昭和56年)10月21日発売、同年間チャート69位、1982年間チャート6位。
作詞/作曲 中島みゆき 編曲_船山基紀。


中島みゆきは、どちらかというと苦手なタイプなんですが、この「悪女」だけは好きでした。発売は1981年の10月で、この年の売り上げランクでも69位に入ってます。昭和の頃は1曲の寿命が長いものが、わりと多かったですよね。

悪女」はシングルとアルバム(寒水魚)ではアレンジが全く違います。まずはシングルバージョン。


子供の私はサビの折り返し「いかないで」のところで、オトナの女を感じドキドキしたものです。耳元で囁かれているかのようで。歌い出しの「マリコの部屋へ 電話をかけて〜」と、いきなり個人名が出てきたのにもドキリとさせられました。

そしてアルバムバージョン


おそらく、中島みゆき本人や演奏してるミュージシャンはこっちが好みだったのでは、と想像します。歌謡曲好きな子供の私には、ちょっと大人すぎて、こっちはイマイチ馴染めませんでした。いま聴いてもやはりシングルバージョンが好きですね。

今回調べていて、さらにもうひとつのバージョンを発見。


これは1987年発売の「歌暦 」というライブアルバムに収録されています。ライブバージョンでアレンジが全く別もの。歌い回しはアルバムバージョンに近いです。やっぱりシングルバージョンは嫌いなんですかね。


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ウエディング・ベル シュガー

1982年(昭和57年)11月21日発売、同年間チャート13位。
作詞/作曲_古田喜昭 編曲_平野融。


シュガー」はミキ、クミ、モーリ、女性3人のコーラスグループ。「ウエディング・ベル」はデビュー曲です。いきなりの大ヒットでしたが、その後はこれといったヒット曲に恵まれませんでした。3人とも声が綺麗でハーモニーが美しいのに残念。PUFFYが2009年にカヴァーしています。

サビの最後「くたばっちまえ アーメン」以外は繰り返しのない歌詞。言葉数が多く込み入った歌詞ですが、聞き取りやすくストーリーがよくわかります。


美しいアカペラで始まり、ガットギターのきざみを1小節はさんでのAメロ。メインボーカルと掛け合いのコーラスが面白いです。全部で3番までありますが、この掛け合いは2番にはありません。代わりにサックスが合間を縫っています。これがドキッとするのですよ。コーラスが来るぞ、って構えてるところをうまく肩透かしされて。で、3番でまたコーラスが出てきてホッとする。よく考えられてます。

ミキさんの地声と裏声とを器用に使い分ける歌声は、まるで天使のよう。特に好きなのは、2番Aメロの最後「遠くに聞こえてふらつきそうだわ」の少し甘ったるい感じの歌いまわし。その「〜ふらつきそうだわ」から続くサビの頭「そうよ〜」の切り替えは見事です。

もうひとつ、3番のサビ後半「〜どうもありがとう招待状を 私のお祝いの言葉よ〜」あたりの、いろんな感情が折り重なっているのを伝えるニュアンス。もっと評価されていいボーカリストですよ(私が知らないだけで、すでに充分に評価されてますか?)。

この曲のちょうど一年後に、続編というのか歌詞違いの「ウエディング・ベルⅡ」が発売されています。残念ながらあまり売れませんでしたが、、。世の中、そんなに甘くはないのですね。


こっちの歌詞は、結婚後に亭主関白となってしまった夫への恨みつらみ。

オケと頭のアカペラは、おそらく元のを使い回したのでしょう。どう聴いても替え歌レベルな感じがしてしまい、残念な気持ちになります。ちょっと企画が安易すぎですよね。撃沈したのも頷けます。

強烈なインパクトの歌がヒットしてしまうと、その後の展開が難しくなります。シュガーも一発屋のカテゴリーなんですかねぇ、、。


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2013年10月2日水曜日

完全無欠のロックンローラー アラジン

1981年(昭和56年)11月14日発売、1982年間チャート38位。
作詞/作曲_高原茂仁 編曲_アラジン。


アラジン」(ディズニー映画じゃないですよ)「完全無欠のロックンローラー」。80年代が産んだ一発屋の代表格ではないかと、ひそかに私は思っています。ウィキペディアで調べてちょっと驚いたのですが、週間オリコンチャートは7位が最高。私が当時受けたインパクトでは、断然1位なんですけどね。

そう、あの頃オリコンで1位とるのって簡単じゃなかったんです。いまは人気グループが出せば、初登場1位はほぼ約束されていますけど消えるのも早いですね。それに比べ、昔のヒット曲の寿命は長かった。


ボーカルの圧倒的な存在感。ナメた歌い方がバッチリとハマってます。ふざけているようで、でも決してそんなことはなく、歌はかなりうまいですよね。脳天気な女性コーラスもしびれます。

こういう曲がヒットチャートを賑わしていた1981年は、日本もまだまだ平和だったかなと。これはレコード持ってました。

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