2013年10月30日水曜日

男の勲章 嶋大輔

1982年(昭和57年)4月28日発売、同年間チャート25位。
作詞/作曲/編曲_Johnny


横浜銀蝿Johnnyとくれば、次は嶋大輔でしょう。「男の勲章」は嶋さんの2枚目のシングルで最大のヒット曲。この年は1枚目「Sexy気分の夜だから」と3枚目「暗闇をぶっとばせ」もそれぞれ年間チャートで、88位と42位にランクされています。

この頃(1982~83年頃)の銀蝿一家は歌謡曲界の一大勢力でした。他に杉本哲太がいた「紅麗威甦(グリース)」や岩井小百合なんてアイドルもいましたね。


Johnnyさんはこの曲を自分で歌うつもりで書いたと、何かのインタビューで聞いたような記憶があります。でもかわいい後輩に譲ったのだと。結果的に大成功でしたね。

今年の春、嶋さんは芸能界引退宣言をし政界を目指しましたが、結局断念しました。ダメですよ、政界なんか行っては。「つっぱることが男のたったひとつの勲章だって」って言ってたじゃないですか。

なぜ芸能人はすぐ政治家の口車に乗り、客寄せパンダとなってしまうのか。それが芸能人の宿命だよ、と言われればそれまでですが、私は毎度悲しく思うのです。


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2013年10月23日水曜日

ジェームス・ディーンのように Johnny

1981年(昭和56年)11月18日発売、1982年間チャート16位。
作詞/作曲_Johnny 編曲_TCR横浜銀蝿RS


TCR横浜銀蝿RSのギターJohnnyのソロデビューシングル「ジェームス・ディーンのように」。Johnnyさん光ってましたよね。銀蝿の中でひとりだけサングラスの形違うし、ヒゲ生えてなくてお肌ツルツルだし。清涼感漂い誠実そうなこのルックスですから、女性ファンが放っておくはずもなく、バレンタインデーには4トン車一杯のチョコが届いたそうです。


おいでCome on 暗い瞳をして すねていないで 走りだそうぜ〜」おお、変わらずカッコいいですねぇ。当時私は銀蝿よりもJohnnyさんのソロの方が好きでした。次のシングル「$百萬BABY」もヒットしましたね。

ただ改めていま聴くと、Johnnyさんの声はメインボーカルとしてはちょっと弱いかな、と感じてしまいました。対して銀蝿の翔さんの声は、まぎれもなくメインボーカル声なんです。

Johnnyさんは典型的なバンドのギタリスト声なんですよね。例えばTHE STREET SLIDERSの蘭丸(土屋公平)、BOØWYの布袋寅泰のような。これは生まれ持った声質の話なので、どうしようもないことです。それでもカッコよさを減じる要素には全くなりえませんけどね。

活動停止後、Johnnyさんはキングレコードに入社し、的場浩司中山美穂などの制作ディレクターをしていました。そして現在はキングレコードの役員と関連会社の社長になっているそう。大出世ですね。今も昔もステキな生き方をされている方だと思います。


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2013年10月21日月曜日

ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編) TCR横浜銀蝿RS

1981年(昭和56年)1月12日発売、同年間チャート15位。
作詞/作曲/編曲_タミヤヨシユキ。


ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)TCR横浜銀蝿RSの2枚目のシングルで最大のヒット曲(のはず)。バンド名「横浜銀蝿」の前後についているアルファベット「TCR RS」は略称で正式名は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」。当時は単に「横浜銀蝿」という表記が多かったように思います。

白いボンタンに革ジャン、サングラスにリーゼントという当時隆盛を誇った「ツッパリ」の出で立ちで、時代を駆け抜けた横浜銀蝿。デビュー当時から「シングル、アルバムともオリコン1位を取り、ライブで武道館を満タンにして2年間でやめる」と公言していました。

2年が経過した時、アルバム1位と武道館満タンは達成されてましたが、シングルはこの曲での2位が最高だったため活動を延期した矢先「汗かきべそかきRock'n Roll Run」でついにシングルチャート1位を獲得しました。そして1983年末に3年3ヶ月の活動に終止符を打ちました(その後、多くのバンドと同様に再結成されてますが)。


勢いがすごいですね。いいとか悪いとか、上手いとかヘタとか、こちらにそんな判断をする隙を与えてくれません。ただ間違いなくスターでした。

コミックソングぎりぎりの歌詞がステキです。「ドカン」とか「ヨーラン」とか「赤テープ」とか、今の若者が聞いても何のことかわからないでしょう。時代ですねー。


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2013年10月19日土曜日

里見八犬伝 ジョン・オバニオン(John O'Banion)

1983年(昭和58年)10月8日発売、1984年間チャート77位。
作詞/作曲/編曲_Joey Carbone/Kathi Pinto


薬師丸ひろ子主演の映画「里見八犬伝」その同名主題歌を歌ったのがジョン・オバニオンです。彼はアメリカ人、すでに自国でデビューしてました。角川の仕掛けで日本向け洋楽とでもいうのでしょうか、歌詞は当然英語です。洋楽と歌謡曲のハーフみたいな位置付けの曲ですね。


これは私の心に深く刻まれてます。英語なのに歌えますもん。「アイドンウォンディスナーィトゥイーンド、ドンセイグッバーイ、ジャスホーミークォーズ、マイダーリン〜」。聴こえるままカタカナで書くとなんか凄い。

残念ながらこの主題歌は彼のアルバムには収録されてません。彼にとっては「おしごと」だったのでしょうね。「角川映画スペシャル 」と「里見八犬伝 オリジナル・サウンドトラック 」に収録されています。いまではこの2つでしか手に入らないでしょう。

映画も面白いですよ。いま観たらチープに見えるかもしれませんけど。千葉真一ファミリー(JAC)総出演のスーパーアクションです。

この年の薬師丸さんは「探偵物語」と「里見八犬伝」2本の主演映画が公開されました。探偵物語は1983年度日本映画興行成績で第2位(1位はあのタロとジロ「南極物語」)、里見八犬伝は1984年度の第1位(2位はこれまた薬師丸さんの「メインテーマ」)。80年代前半、薬師丸さんは低迷しつつある映画界を支える存在でした。まあアイドル映画が興行成績のトップにいること自体、低迷を象徴してるともいえるんですが、、、。


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2013年10月16日水曜日

探偵物語 薬師丸ひろ子

1983年(昭和58年)5月25日発売、同年間チャート4位。
作詞_松本隆 作曲_大瀧詠一 編曲_井上鑑。


薬師丸ひろ子探偵物語」。鮮烈な歌手デビューを飾った「セーラー服と機関銃」が発売されたのが1981年11月のこと。翌年の年間チャートで、あみん待つわ」に次ぐ第2位を獲得する大ヒット。同名映画での「カ・イ・カ・ン」の名セリフで若手トップ女優の地位を確立しました。リアルタイムではなくとも、そのセリフを知らぬものはいないでしょう。

薬師丸というと当然そっちを取り上げたくなりますが、私は続く2枚目のシングル「探偵物語」が好き。こちらも負けず劣らず大ヒットしました。

この時期歌謡界には松田聖子中森明菜という不世出の2大アイドルが君臨していました。そこに割って入ったのが薬師丸さんです。デビューも売れたのも明菜さんより若干早いですけど「セーラー服と機関銃」1曲ではまだ歌手として認められていたとは云い難い状態でした。少なからず一発屋の空気を感じたのです(歌に関してですよ。女優としては認められていたと思います)。

その空気を払拭し、女優だけでなく歌手としてもいける、それを証明したのがこの「探偵物語」。聖子)、明菜)、薬師丸)、アイドル歌謡界の天下三分の計が成立した瞬間でした。


なんという透明感。聴いているものを癒やす力があります。前曲よりも表現力はアップしつつも、まだこなれていない。このバランスが絶品なのであります。

松本さんの詞いいですね。私が特に好きなところは間奏後のサビ「透明な水の底 硝子の破片(かけら)が光る だから気をつけてね 好きよ… でもね… たぶん… きっと…」。何度でも聴きたくなります。

このレコードは両A面。カップリングの「すこしだけやさしく」も名曲です。


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2013年10月15日火曜日

想い出がいっぱい H2O

1983年(昭和58年)3月25日発売、同年間チャート20位。
作詞_阿木燿子 作曲_鈴木キサブロー 編曲_萩田光雄。


あだち充原作のTVアニメ「みゆき」のエンディングテーマ「想い出がいっぱい」。「H2O」最大のヒット曲ですね。最近は中高生の合唱曲として、よく使われていると聞きます。原曲に綺麗なハーモニーついてますから、合唱しやすい曲でしょう。


古いアルバムの中に 隠れて想い出がいっぱい 無邪気な笑顔の下の 日付ははるかなメモリー」なんていい詞なんだろう、、。出だしで心をワシ掴みされますもんね。阿木さん凄いです。

「みゆき」のアニメ懐かしい。あだち充はこの後「タッチ」でさらにブレイクしました。「タッチ」のアニメ主題歌を歌ってたのが岩崎宏美の妹、岩崎良美。そこそこヒットしてたなぁ、て記憶があったので調べてみたら、1985年度の年間ランクで39位。まあ中ヒットですか。彼女の代表曲でしょうね。

H2Oはこれ以外に「僕等のダイアリー」というのも知られています。来生えつこ/たかお姉弟の曲で、TV版「翔んだカップル」の主題歌。ヒロイン山葉圭役の桂木文、好きでした。


キスの味はレモンパイ 肌の香りラベンダー 〜 ドンマイドンマイ 今に見てろよ」。おお、、いい曲だ、、、、。こうしていま聴くと、こっちのほうが好きかも、、、。ドラマの内容にも合ってるし、よくできた曲だと思います。

「想い出がいっぱい」は廃れることなく、何年も歌い継がれていくことでしょう。



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2013年10月14日月曜日

哀 戦士 井上大輔

1981年(昭和56年)7月5日発売、同年間チャート67位。
作詞_井荻 麟 作曲/編曲_井上大輔。


劇場版ガンダム3部作の第2作「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」の主題歌「哀 戦士」。元ジャッキー吉川とブルー・コメッツ井上大輔(井上忠夫)さんが歌います。井上さんはご自身で歌うだけでなく、様々な歌手への楽曲提供も多数あり。ラッツ&スターシブがき隊あたりが有名ですかね。


ガンダムは流行りましたね。私が観たのはリアルタイムではなく夕方の再放送。私に限らずほとんどの人はそうだと思います。本放送の時はそれほどヒットせず、再放送で火がついた作品ですから。

映画はそのTVシリーズ全43話を3本の映画に編集したもの。3本それぞれに主題歌があるわけですが(3作目も井上さんが歌う「めぐりあい」が主題歌)、ガンダムの映画というとこの曲の印象が強いです。

井上さんのアツい歌、いいですね。Aメロのちょっとセリフっぽく早口で歌うところが好きです。「哀 ふるえる哀 それは別れ唄 ひろう骨も 燃え尽きて ぬれる肌も 土にかえる〜」

そしてサビ「死にゆく男たちは 守るべき女たちに 死にゆく女たちは 愛する男たちへ 何を賭けるのか 何を残すのか〜」

初期ガンダム世代にはたまらない1曲でしょう。

哀 戦士 - ファーストガンダム パック - EP
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2013年10月13日日曜日

赤いスイートピー 松田聖子

1982年(昭和57年)1月21日発売、同年間チャート12位。
作詞_松本隆 作曲_呉田軽穂 編曲_松任谷正隆。


数ある聖子ちゃんのヒット曲の中でも、私のベストワンは「赤いスイートピー」。何度聴いても飽きのこない、アイドル曲というワクを超えた時代の歌になってます。聖子ちゃんの歌はどれも好きなんですが、これは別格。

作曲の呉田軽穂とはユーミンのペンネーム。「グレタ・ガルボ」をもじって付けた名だと、当時ベストテンか何かのテレビで聞いた記憶があります。聖子ちゃんのような、ど真ん中アイドルに、松任谷由実の名は出せぬ、ということなんでしょうか。


うーむ、完璧です。無駄な要素がひとつもありません。本物のスターというのは、歌の巧拙の議論など関わりのない、世俗から超越したところに存在するもの。聖子ちゃんはただ自分の声で普通に歌うだけで、他を寄せ付けない高みにおわす本物のスター。それにしてもこの声は絶品ですね。

この曲最大のチェックポイントは、1番Bメロの「何故 知り合った日から 半年過ぎても〜」の「半年」の歌いまわし。そこは2番(歌詞で書くと「チラッと」ですが歌い方は「あっ」で音符4つ)の譜割りと同じに「半年」の「」と「」を2つの音符に分けるほうが自然な気がするのですが、聖子ちゃんは「はん」と1音符で詰めて歌っています(そのため1番の音符は3つになり2番と合わない)。

こういう歌中の引っ掛かり、つまづきのようなものは曲のアクセントとなります。ただ右から左へ流れていくんじゃなく、心に足跡を残すのですよ。その足跡を確かめたくて、何度も聴きたくなるのです。この譜割りはユーミンの指示なのか、たまたま聖子ちゃんがそう歌ったのか。どちらにしてもステキな選択でした。「半年」という言葉が生きてますもんね。

あと、2番のサビが繰り返すところの、歌のクロス。私はこのクロスするボーカルというのが好きじゃないんですが、この曲は許せます。ここはクロスするのが必然だと感じるから。

繰り返しサビの歌詞は「好きよ 今日まで 逢った誰より〜」なんですよ。煮え切らない彼に対して「好きよ」と、彼女のほうから一歩前へ出るわけです。その想いが、間を開けずクロスして突っ込む歌とリンクして胸に迫ってくるのです。

かなり熱く、ひとりよがりの論を展開してしまいました。それでも言い尽くせないほど、魅力が詰まった歌なのであります。ノスタルジーからくる過大な美化だったらすみません。


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けんかをやめて 河合奈保子

1982年(昭和57年)12月5日発売、同年間チャート64位。
作詞/作曲_竹内まりや 編曲_清水信之。


アイドル「河合奈保子」は1980年デビュー。西城秀樹の妹というキャッチフレーズがついてましたね。「HIDEKIの妹オーディション」で優勝して芸能界に入ったわけですから当然です。明るく元気で可愛らしい顔立ちと、いまのグラビアアイドルにも引けをとらないグラマーなスタイルで人気がありました。同級生に熱烈なファンがいたのを憶えています。

そのキャラクター同様、発表される曲も元気なものが多かったです。まあアイドルですからね。そんな河合さんの10枚目のシングルである「けんかをやめて」は、元気な女の子からちょっと大人へ、そんな転換点だったのではないでしょうか。


いかにも「竹内まりや」って雰囲気の曲ですね。「スマイル・フォー・ミー」とか明るい曲の彼女の声は、まるでワックスがかかっているかのようにツヤツヤ。それが少し眩しすぎて苦手だったのですけど、この曲はいい具合にワックスが抑えられていて私の好み。しかし、、歌詞の世界の彼女は酷い女です。

」は思わせぶりな態度で、ふたりの男性の心をもてあそびます。その結果、男たちは彼女を奪い合い、諍いを起こしている。それを見た「」は「けんかをやめて 私のために争わないで、、」と懇願するのです。

きっと彼女はどっちも好きではないのでしょう。「ボーイフレンドの数 競う仲間たちに 自慢したかったの」ただそれだけなんですよ。このキレイなメロディで河合さんの声でしっとり歌われると、まるで彼女が失恋でもしたのかと勘違いしてしまいそうになります。これは悪女ですよ。

まあそんなことは彼女が八重歯を覗かせニコッと笑えば、その可愛さで許されてしまうのでしょう。美女は世に憚るものです。

けんかをやめて - シングルA面コレクション
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2013年10月12日土曜日

悪女 中島みゆき

1981年(昭和56年)10月21日発売、同年間チャート69位、1982年間チャート6位。
作詞/作曲 中島みゆき 編曲_船山基紀。


中島みゆきは、どちらかというと苦手なタイプなんですが、この「悪女」だけは好きでした。発売は1981年の10月で、この年の売り上げランクでも69位に入ってます。昭和の頃は1曲の寿命が長いものが、わりと多かったですよね。

悪女」はシングルとアルバム(寒水魚)ではアレンジが全く違います。まずはシングルバージョン。


子供の私はサビの折り返し「いかないで」のところで、オトナの女を感じドキドキしたものです。耳元で囁かれているかのようで。歌い出しの「マリコの部屋へ 電話をかけて〜」と、いきなり個人名が出てきたのにもドキリとさせられました。

そしてアルバムバージョン


おそらく、中島みゆき本人や演奏してるミュージシャンはこっちが好みだったのでは、と想像します。歌謡曲好きな子供の私には、ちょっと大人すぎて、こっちはイマイチ馴染めませんでした。いま聴いてもやはりシングルバージョンが好きですね。

今回調べていて、さらにもうひとつのバージョンを発見。


これは1987年発売の「歌暦 」というライブアルバムに収録されています。ライブバージョンでアレンジが全く別もの。歌い回しはアルバムバージョンに近いです。やっぱりシングルバージョンは嫌いなんですかね。


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ウエディング・ベル シュガー

1982年(昭和57年)11月21日発売、同年間チャート13位。
作詞/作曲_古田喜昭 編曲_平野融。


シュガー」はミキ、クミ、モーリ、女性3人のコーラスグループ。「ウエディング・ベル」はデビュー曲です。いきなりの大ヒットでしたが、その後はこれといったヒット曲に恵まれませんでした。3人とも声が綺麗でハーモニーが美しいのに残念。PUFFYが2009年にカヴァーしています。

サビの最後「くたばっちまえ アーメン」以外は繰り返しのない歌詞。言葉数が多く込み入った歌詞ですが、聞き取りやすくストーリーがよくわかります。


美しいアカペラで始まり、ガットギターのきざみを1小節はさんでのAメロ。メインボーカルと掛け合いのコーラスが面白いです。全部で3番までありますが、この掛け合いは2番にはありません。代わりにサックスが合間を縫っています。これがドキッとするのですよ。コーラスが来るぞ、って構えてるところをうまく肩透かしされて。で、3番でまたコーラスが出てきてホッとする。よく考えられてます。

ミキさんの地声と裏声とを器用に使い分ける歌声は、まるで天使のよう。特に好きなのは、2番Aメロの最後「遠くに聞こえてふらつきそうだわ」の少し甘ったるい感じの歌いまわし。その「〜ふらつきそうだわ」から続くサビの頭「そうよ〜」の切り替えは見事です。

もうひとつ、3番のサビ後半「〜どうもありがとう招待状を 私のお祝いの言葉よ〜」あたりの、いろんな感情が折り重なっているのを伝えるニュアンス。もっと評価されていいボーカリストですよ(私が知らないだけで、すでに充分に評価されてますか?)。

この曲のちょうど一年後に、続編というのか歌詞違いの「ウエディング・ベルⅡ」が発売されています。残念ながらあまり売れませんでしたが、、。世の中、そんなに甘くはないのですね。


こっちの歌詞は、結婚後に亭主関白となってしまった夫への恨みつらみ。

オケと頭のアカペラは、おそらく元のを使い回したのでしょう。どう聴いても替え歌レベルな感じがしてしまい、残念な気持ちになります。ちょっと企画が安易すぎですよね。撃沈したのも頷けます。

強烈なインパクトの歌がヒットしてしまうと、その後の展開が難しくなります。シュガーも一発屋のカテゴリーなんですかねぇ、、。


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2013年10月11日金曜日

ハイスクールララバイ イモ欽トリオ

1981年(昭和56年)8月5日発売、同年間チャート4位。
作詞_松本隆 作曲/編曲_細野晴臣。


イモ欽トリオ」は当時視聴率男と言われた欽ちゃん(萩本欽一)の番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から生まれたユニット。山口良一(よしお)、西山浩司(わるお)、長江健次(ふつお)の3人組です。欽ドン!懐かしいですね。毎週観ておりました。

この頃の欽ちゃんはスゴかった。月曜「欽ドン!」水曜「欽ちゃんのどこまでやるの!?」金曜「欽ちゃんの週刊欽曜日」と一日おきにゴールデンで番組持ってたんですから。どれも視聴率30%前後あったんじゃなかったかな?それ以外の日でも「ぴったしカンカン(たしか火曜日)」とか出てたので、テレビをつければほぼ毎日、欽ちゃんがいたわけです。


ハイスクールララバイ」はヒットしましたねぇ。何週も連続でチャート1位でした。作曲の細野さんがアレンジもしていてサウンドはモロYMO。イントロや間奏の振付(YMOのモノマネ)もユニークです。

ベストテンに長くチャートインしていて飽きてきたのか、サビ「100%片思い〜」の「片思い」が、ある時期からそこだけ替え歌になりました。歌詞を視聴者から募り、毎週違う言葉で歌うのです。ひとつだけいまでも憶えてる歌詞が「100%たこ焼き」。字足らずなんですけどね。違和感ありまくりだったせいで印象に残っています。

しかしこれはいま聴くと、うーん、懐かしさだけ、って感じです。もっと感動するかと思ったのですが、、、。当時はイモ欽トリオが出てくるの楽しみだったんですけどね。フツオくんの歌も酷いとはいいませんが、、、、凄い、、、。

流行りものは廃れもの。ブレイクしすぎた企画物ってのは、時の試練に耐えられないのでしょうか。


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2013年10月10日木曜日

キッスは目にして! ザ・ヴィーナス

1981年(昭和56年)7月25日発売、同年間チャート32位。
作詞_阿木燿子 作曲_ベートーヴェン 編曲_井上大輔。


ザ・ヴィーナスの「キッスは目にして!」。曲はベートーヴェンの「エリーゼのために」。「エリーゼのために」って、昔よく電話の待受けに使われてましたよね?オルゴールみたいな音で。実家には黒電話の受話器を置く、ゼンマイ仕掛けのチープな機械がありました。

「キッスは目にして!」より20年ほど前、すでにこの曲は歌詞違いで世に知られています。1959年発表の「ザ・ピーナッツ」「情熱の花」。私の親世代はこっちでしょうね。このザ・ピーナッツのヴァージョンは、ヨーロッパで活躍した歌手「カテリーナ・ヴァレンテ」がフランス語で歌う「Tout L'Amour (PASSION FLOWER)」をカヴァーしたものです。


ボーカルのコニーさん、声も姿もセクシーです。子供の時分ドキドキしながら観ておりました。この時期のアイドルとはひと味違っていて(まあ当然ですが)、子供が観てはいけないのではないか、と、テレビの前で漠然とした後ろめたさを感じていた記憶があります。「ヴィーナス」というグループ名も、なんで「ビーナス」じゃないんだろう、と、そんなことが気になって仕方ありませんでした。

阿木燿子さんの歌詞、素晴らしいですね。歌い出し、1番の1行目は「罠 罠 罠」で始め、2行目に「恋」という言葉を使い、2番ではそれが逆になるという巧みな構成。それと曲終わり「〜恋する瞳」「〜瞳は心」「〜心は炎」ですよ。完璧じゃないですか。

最後の転調も秀逸。「キッスは目に キッスは目にして」この言葉を重ねるところで転調するのですけど、私が「あ、転調だ」と意識した曲は、これが初めてだったような気がします。それまでにも転調する曲なんてたくさん聴いていたはずなんですが、特に音楽の素養があったわけでもない子供にそんなのわからないですよね。

コニーさんぐらい説得力を持った歌、いまでは少なくなりました。

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2013年10月9日水曜日

少女人形 伊藤つかさ

1981年(昭和56年)9月1日発売、同年間チャート43位。
作詞_浅野裕子 作曲_南こうせつ 編曲_船山基紀。


少女人形伊藤つかさちゃんです。私は大大大ファンでありました。地味な感じの女の子なんですけどね、なにか惹かれるものがあるのです。「劇団いろは」で子役デビュー。金八先生の第2シーズンにも出てました。

これは結構ヒットしたので何週間もベストテン入りしました。しかしつかさちゃんは当時中学生、労働基準法で中学生の深夜労働は認められていないということで、ベストテンの生放送(21時から放送)には出られませんでした。


ああ、、もう、聴いていると、胸が苦しくなります。全体的に音程がフラットしているところが実にイイ。リズムも走り目で不安定、だがそこがイイのですよ。ヘタなのもその人の個性。いまのアイドルならガチガチに修正して個性もヘッタクレもない平べったい歌になってしまうでしょう。

私のお気に入りの箇所は、1番のサビ「そうよあの人がいれば きっと守ってくれるわ」の「きっと」。ちょっと意識して聴いてみてください。この絶妙なフラフラ加減に心をくすぐられてしまいます。

3枚目のシングル「夢見るSeason」も好きな曲です。


ああ、、ため息しか出ません。初恋の人に会ったような感じ。1番サビ前の「そんな予感がするこの頃」の「頃」の歌い回し。やっぱり「声」なんですよね、惹かれるのは。生の歌はサビでかなりヤバイことになってますけど、、、だがそこがイイのです。


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2013年10月8日火曜日

もしもピアノが弾けたなら 西田敏行

1981年(昭和56年)4月1日発売、同年間チャート25位。
作詞_阿久悠 作曲/編曲_坂田晃一。


西田敏行もしもピアノが弾けたなら」は、杉田かおる「鳥の詩」と同じく、テレビドラマ「池中玄太80キロ」の挿入歌(第2シーズン)。でもこれB面だったのですね。A面はドラマ主題歌「いい夢みろよ」でした。ドラマ放送中、反響が大きくてA-B面ひっくり返したそうです。そう、松田聖子Sweet Memories」も「ガラスの林檎」のB面だったのが、あのアニメのペンギンが出てくるCMの影響で、A面に昇格しましたよね(こちらは両A面ってことでした)。


イントロのピアノのフレーズが切なく美しい。弾いているのは羽田健太郎さん。Aメロの歌の合いの手、高い音でポロリポロリと奏でるオブリも繊細でキレイです。西田さんのあったかい歌声。ホッとしますよね。

余計なサビの繰り返しがなく、淡白に終わる単純2コーラスの構成が好き。曲はちょっとものたりないくらいのほうが絶対にいいですよ。リピートで聴きたくなりますから。

私はあの畳み掛けるサビの繰り返しがニガテ。そうすることが必然の曲も勿論ありますけど、ただ冗長になってるだけの曲が多すぎ。シンプルに2コーラス、3分半くらいの曲が好きです。

フランク永井五木ひろし観月ありさなどなど、多くの歌手にカバーされています。名曲の証ですね。


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2013年10月7日月曜日

鳥の詩 杉田かおる

1981年(昭和56年)8月25日発売、同年間チャート56位。
作詞_阿久悠、作曲/編曲_坂田晃一。


鳥の詩杉田かおる唯一のヒット曲。

杉田さんといえば、まずはチー坊ですか。1972年のテレビドラマ「パパと呼ばないで」。石立鉄男さんが父親で、杉田さんはその子役。私はリアルタイムではなく再放送で観た口です。

リアルタイムで記憶のある杉田さんは金八先生の雪乃ちゃん。「十五歳の母」ですよ。赤ちゃんの父親は同級生の保(鶴見辰吾)くん。中学3年生の出産というディープなテーマに切り込んでました。そう、これは生徒役に豪華な顔ぶれがいましたよね。トシちゃん、マッチ、ヨッちゃんの「たのきんトリオ」に三原順子小林聡美などなど、、。毎週楽しみにしてました。

その杉田さんは金八先生の後、日テレの「池中玄太80キロ」に出演します。そのドラマの挿入歌で「鳥の詩」が使われてたんですね。私はこのドラマをほとんど観てませんでしたので、劇中での印象は全くありません。


週間のオリコン最高位は10位。中ヒットって感じでした。少しファンでしたし「あ、雪乃ちゃんが歌ってる」ってことでよく憶えています。お年を召した杉田さんは、、、ですけど、この頃は素朴でかわいいですね。ボーカルは見事なまでの棒歌い。しかしそれがいいのですよ。

1番のサビ「私の心が空ならば 必ず真白な鳥が舞う〜」というところの「真白」、「ましろ」と歌うのですけど、それがずっと耳に残ってるんですよね。「まっしろ」じゃなく「ましろ」ってのが。間違ってるわけじゃないけれど、ずっと引っかかってるのです。


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2013年10月6日日曜日

守ってあげたい 松任谷由実

1981年(昭和56年)6月21日発売、同年間チャート10位。
作詞/作曲_松任谷由実 編曲_松任谷正隆。


私のユーミン初体験はこの曲。荒井由実時代は記憶にございません。映画「ねらわれた学園」の主題歌ですね。主演は鈴鹿ひろ美、、、さんじゃなく、薬師丸ひろ子さん。可憐です。


この歌は年間チャートでも10位になるくらいですから大ヒットしてまして、ベストテンに毎週入っていたのに、一度も出演してくれませんでした。当時ニューミュージック系の人たちはテレビを嫌ってましたからね。オフコース中島みゆきなんかも絶対に出ませんでしたし。

この歌はAメロ、Bメロ、サビ、どのパートも好き。教会にいるような厳粛な感じのサビから始まり、その余韻の中で登場するリズム。そして「初めて言葉を〜」とくるわけです。もう感服せずにはいられません。

歌詞を読んでいるだけで、あの日を思い出し胸が苦しくなってきます。何度も何度も繰り返し聴いてしまう、そんな歌。

遠い夏 息をころし トンボを採った もう一度 あんな気持ちで 夢をつかまえてね」、、、、はい、ごめんなさい、そんな気持ちでがんばります、、、、。


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2013年10月5日土曜日

ロンリーハート クリエーション

1981年(昭和56年)4月21日発売、同年間チャート37位。
作詞_大津あきら 作曲_竹田和夫 編曲_クリエーション。



クリエーション(クリエイションと表記するのが正しいようですが、この曲の名義はクリエーション)最大のヒット曲「ロンリーハート」。

洋楽ファンが「ロンリーハート」と聞くと、あの「YES」の名曲を思い浮かべ「カバー曲か?それともパクっちゃったのか?」なんて心乱れることでしょう。しかしあっちは1983年の作品で、全くの別もの。こっちのほうが2年も先ですから。

この歌は不思議とずっと心に残っていて、でもよく思い出せなくて、、。なかなか聴く機会にも恵まれませんでした。最近気まぐれにYouTubeで検索すると、出てきましたよ。いまはいい時代ですね。


後々まで好きでいる歌って、曲がいいのは当たり前でそれプラス、ボーカルの声が好みかどうかってのが大きいと思います。楽器は練習すればある程度はなんとかなりますが、歌声だけは生まれ持ったものですからね。ボーカルは特別な存在なのです。

私は昔よくプロレスのテレビ中継を観ました。そのころ、ジャイアント馬場社長の全日本プロレスで活躍していた外国人に、ドリー・ファンク・ジュニアテリー・ファンクという兄弟がいました。タッグ名は「ザ・ファンクス」。その彼らの入場曲は「スピニング・トーホールド」というカッコいいインストの曲。それがクリエイションの曲だったというのをさっき知り、嬉しくて身体が震えました。ちなみに「スピニング・トーホールド」とは、このザ・ファンクスの得意技のひとつであります。


なんかこれを聴くと血が騒ぎます。

クリエイションは1980年代半ばに解散して20年くらいそのままでしたが、2005年に活動を再開したそうです。ボーカル竹田さんのあの声があれば、いつまでも続けていけることでしょう。

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2013年10月4日金曜日

まちぶせ 石川ひとみ

1981年(昭和56年)4月21日発売、同年間チャート33位。
作詞/作曲_荒井由実 編曲_松任谷正隆。


石川ひとみまちぶせ」週間オリコン最高6位。ヒットしてたなぁ、って印象があっても、6位どまりですか。細く長く売れていたのでしょうね。作詞作曲はユーミンだったとは、今日まで知りませんでした。


いやぁ、この可愛さは年月を経ても色褪せません。清楚な佇まいの中から憂いが覗き、そして芯の強さも垣間見える。絶妙のサジ加減です。それにしても昔のアイドルは歌がお上手。

この歌のマニアックなオススメポイントをふたつ。

ひとつめは、1番のサビが終わったあとのAメロ。「気のないそぶりして 仲間にくわわった〜」ここの「くわわった」の「わ」が重なるところの歌いかた。これがとってもキュート。

ふたつめは、2番のAメロ2行目「わたしは自分から 云いよったりしない」の「しない」の「な」。少し甘えた吐息のような言葉の置きかたをしています。これはトロけちゃいますよ。

これ実はカヴァー曲で、オリジナルは「三木聖子」。三木さんのデビューシングルで昭和51年(1976年)に発表されてます。オリジナルもよいですよ。

昔の曲の多くは、歌詞カードを見なくてもしっかり聞き取れます。詞の世界がちゃんと浮かんでくるのですよね。現在の歌謡界では、そういう曲が少なくなってきました。


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2013年10月3日木曜日

サヨナラ模様 伊藤敏博

1981年(昭和56年)8月25日発売、同年間チャート55位。
作詞/作曲_伊藤敏博 編曲_大村雅朗。


伊藤敏博サヨナラ模様」これもメモリーグラスなどと同じ時期のヒット曲ですね。

彼は国鉄に勤務するかたわら、この曲で歌手デビュー、大ヒットしました。ヒット後も国鉄は辞めずにいましたが、分割民営化(JRになるわけです)に伴い、1987年に退職されたそうです。


なんとも素晴らしい、透明感があっていい声。聴き惚れます。サビの「ねェねェ〜」が続くところが印象的でした。

この曲は当時大好き、ってわけじゃなかったんですけど、何度も聴くうちジワジワと好きになりました。いつもベストテンの10位以内には入っていてほしいな、という曲。この他に西田敏行もしもピアノが弾けたなら」もそんな感じ。週1回は聴きたくなる曲でしたね。

「震えているのは〜」という歌い出し、ベストテンで駅のホームから中継したとき、吐く息が白くて、ホント寒そうな中で歌ってたのを観た記憶があります。この人はスタジオで歌ってるよりも、駅のホームから中継、って印象が強い。

現在も音楽活動は続けていらっしゃるようです。いまもあの声は健在なのでしょうね。

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2013年10月2日水曜日

完全無欠のロックンローラー アラジン

1981年(昭和56年)11月14日発売、1982年間チャート38位。
作詞/作曲_高原茂仁 編曲_アラジン。


アラジン」(ディズニー映画じゃないですよ)「完全無欠のロックンローラー」。80年代が産んだ一発屋の代表格ではないかと、ひそかに私は思っています。ウィキペディアで調べてちょっと驚いたのですが、週間オリコンチャートは7位が最高。私が当時受けたインパクトでは、断然1位なんですけどね。

そう、あの頃オリコンで1位とるのって簡単じゃなかったんです。いまは人気グループが出せば、初登場1位はほぼ約束されていますけど消えるのも早いですね。それに比べ、昔のヒット曲の寿命は長かった。


ボーカルの圧倒的な存在感。ナメた歌い方がバッチリとハマってます。ふざけているようで、でも決してそんなことはなく、歌はかなりうまいですよね。脳天気な女性コーラスもしびれます。

こういう曲がヒットチャートを賑わしていた1981年は、日本もまだまだ平和だったかなと。これはレコード持ってました。

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