2013年12月13日金曜日

15の夜 尾崎豊

1983年(昭和58年)12月1日発売。
作詞/作曲_尾崎豊 編曲_町支寛二。


1992年、26歳という若さで世を去った尾崎豊デビューシングル「15の夜」。私が学生のころ、彼を支持する熱狂的なファンと露骨に目を背けるアンチ尾崎との溝は深かったように思います。あの熱さを受け入れられるかどうか。多くの人は受け入れて共に熱狂し、また、見なかったことにして避けて通る人も少なからずいて、、、。

どちらかというと私は後者。ドライな毎日を送っていた私に尾崎の歌はかなり暑苦しかった。教祖のように祭り上げられているのにも鼻白む思いでした。尾崎のファンて「信者」って感じだったんですよね。


いやぁ、言うまでもなく熱いです。ちょっとやり過ぎな感じはしますが、これだけの「熱」を持った歌手が今いるでしょうか?聴衆の心に突き刺すように歌える人がいるでしょうか?言葉で相手をねじ伏せる力を持つ「(自称)アーティスト」は何人いますか?

好き嫌いは別にして、彼はやはり特異な才能を持った歌手であったと思います。歌なんて所詮、虚構の世界。それを現実かと錯覚させるような力、そんな歌手は今後なかなか出てはこないと思われます。

異論はあるかもしれませんが、尾崎自身は1stアルバム「十七歳の地図」の幻影とずっと闘っていたのではないかと勝手に想像します。このアルバムに収録されている曲はどれも素晴らしい出来。しかしこのテンションを維持していくのは困難なことだったろうと同情したくなります。クスリに溺れてしまったのも不憫でなりません。

太く短く。伝説と長寿は両立しないもの。80年代のみならず、日本の音楽史年譜に必ず書き込まれる歌手だと思います。


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2013年11月30日土曜日

言葉にできない オフコース

1982年(昭和57年)2月1日発売、同年間チャート不明。週間最高37位。
作詞/作曲_小田和正 編曲_オフコース。


前年(1981年)の暮れに発売されたアルバム「over」からのシングルカット。昔はこういうシングルカットが少なくなかったと思います。オフコースファンはシングルよりもアルバム派(たぶん)でしょうから、レコード売上としては大きなものではありませんでした。

これは発表時よりも、その後により評価された曲でしょう。現に多くの歌手にカバーされています。オフコースの曲の中で一番多くカバーされているのではないでしょうか。今後も歌い継がれていくであろう一曲です。


私がこの曲で真っ先に浮かぶイメージがこの映像。武道館解散コンサートでの小田さんの涙です。いま観るとちょっと出来過ぎな感じがして「これは演出か?」なんて勘繰りたくなってしまいますが、素晴らしいステージに変わりありません。小田さんの歌が途切れても淡々と演奏を続ける他のメンバーがカッコいいです。

ステージのスクリーンに映し出されるひまわりは映画「ひまわり」の版権を一部買い取って使っているそうです。この映画については別ブログヒトリネコのヒトリゴト」で取り上げていますので、よろしかったらそちらもご覧ください。

1番の終わり「こころ哀しくて 言葉にできない」2番は「それがくやしくて 言葉にできない」。それが間奏後「あなたに会えて ほんとうによかった 嬉しくて嬉しくて 言葉にできない」へと昇華することに心動かされます。ピアノだけになるアレンジも絶妙(定番といえば定番ですけど)。

最後にどうでもいいことですが、イントロから「ラララ〜」になるとき、いきなり転調するのがずっと気になっています。なんかビックリするんですけど、そういう効果を狙ったのですかね?


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2013年11月23日土曜日

少女A 中森明菜

1982年(昭和57年)7月28日発売、同年間チャート34位。
作詞_売野雅勇 作曲_芹澤廣明 編曲_萩田光雄。


スーパーアイドル中森明菜のセカンドシングル「少女A」。ジャケット写真、ちょっとむくれた表情がいいですね。彼女はこの曲でブレイクしました。作詞家売野さんの出世作でもあり、この後に売野・芹澤コンビは初期のチェッカーズに楽曲を提供、ヒットを連発します。


低音域で息継ぎせずに突っ走るAメロから「じれったい じれったい〜」への展開は、当時インパクトを受けました。個人的に好きなパートは、2番のAメロ「〜胸の高鳴り 耳があゝ熱いわ〜」のところ。「あゝ」のニュアンスがセクシーです。この時まだ17歳。話してる姿は年相応に見えますが、歌う姿は大人びて見えますよ。

この可愛いルックスと落ち着いた声質。声はすでに伝説のアイドルとなっていた山口百恵さんを彷彿とさせますね。本人も意識していたのか、オーディション番組「スター誕生」で百恵ちゃんの「夢先案内人」を歌っています(同番組の史上最高点で合格したそうです)。

以前、薬師丸さんの時に書きましたが、この1982〜3年の頃は「松田聖子」「中森明菜」「薬師丸ひろ子」の3大アイドル(個人的見解)が並び立っていました。三者三様の魅力がありますよね。その中で明菜さんの歌唱力は頭ひとつ抜けていたと思います。

近頃は表舞台から姿を消している明菜さん。戻ってきてまた歌ってもらいたいと切に願います。

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2013年11月17日日曜日

センチメンタル・ジャーニー 松本伊代

1981年(昭和56年)10月21日発売、1982年間チャート53位。
作詞_湯川れい子 作曲_筒美京平 編曲_鷺巣詩郎。


伊代ちゃんのデビュー曲で最大のヒット曲「センチメンタル・ジャーニー」。彼女の登場は衝撃でした。初めて聴いたのは、たぶんチョコレートのCMだったと思います。

まず伊代ちゃんの声がすごい。この「鼻にかかった」という表現では物足りない「鼻詰まり」な声質。そのくぐもった声が奏でる不安定な音程は、聴くものを何とも言えない不安な気持ちにさせました。

そんな不安な気持ちのままAメロ、Bメロと聴いていくと、サビ前で「伊代はまだ16だから」と腕をクルクル回し自分を指さして歌うのです。初めて聴いた時はビックリしました。歌詞に自分の名前入らないですよ、ふつう。でもそれが強烈なインパクトを与えたからヒットしたのでしょうけれど。


「何かにさそわれて〜〜ん」ってところがいい味出してます。振り付けもキュート。そして曲がいい。筒美さん、さすが大御所です。

サンタさんの格好をしてバックで歌ってる二人は「キャプテン」。伊代ちゃんだけでは歌唱力に不安があったのか、テレビで歌うときにいつも二人がサポートしてました。その後「麻生真美子&キャプテン」としてデビュー。残念ながらそれほどヒットはしませんでした。

いま聴いても破壊力バツグンの伊代ちゃんでした。


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2013年11月11日月曜日

不良少女白書 榊原まさとし

1981年(昭和56年)5月1日発売、同年間チャート100位。
作詞/作曲_さだまさし 編曲_信田かずお。


ご夫婦デュオ「ダ・カーポ」で活動していた榊原まさとしさんのソロシングル。「2年B組仙八先生」で挿入歌として使われていました。「1年B組新八先生」と同じく、金八先生の陰に隠れ今では忘れられつつある仙八先生ですが、当時はなかなか人気がありました。

生徒役には「シブがき隊」結成以前の薬丸裕英本木雅弘布川敏和の三人に加え、三田寛子本田恭章など、なかなかの配役。そして副担任役の宮崎美子に恋した人も多いことでしょう。半年放送の予定が1年に伸びたため、途中降板してしまったのが残念でした。


人には黒く見えるカラスが 自分には白く見えてしまう〜
何故嫌いですか 何故好きですか 左ですか 右ですか〜
さだまさしさんの歌詞がとても印象的。5分を超える曲なのに、言葉の巧みさでスルッと聴けてしまいます。さださんが歌うバージョンもいいですけど、私は榊原さんの歌い方が好きですね。広がりを感じるアレンジも素敵です。

大ヒットしたとはいえませんが、忘れられるには惜しい曲だと思います。そういえばダ・カーポは今年デビュー40周年。長く続けるパワーに感服いたします。


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2013年11月3日日曜日

ルビーの指輪 寺尾聡

1981年(昭和56年)2月5日発売、同年間チャート1位。
作詞_松本隆 作曲_寺尾聡 編曲_井上鑑。


1981年は寺尾聡の年でしたね。年間1位「ルビーの指輪」に加え、同19位「シャドー・シティ」、同47位「出航 SASURAI」と3曲も年間トップ50入り。実はシングルレコードの発売順でいうと後の2曲の方が先で、「ルビーの指輪」の大ヒットのおかげで火がついたのでした。

この3曲が収録されているアルバム「Reflections」も売れまくりました。LPレコードとして歴代トップの売上です。2006年には、このアルバムを再レコーディングした「Re-Cool Reflections」も発表されています。

ザ・ベストテンではこの3曲が同時トップテン入りしました。2曲同時に入ることだって滅多になかったので、その時のことはすごく鮮明に憶えています。その後チェッカーズにもそんなことがありましたね。


この歌い方がクセになるんですよ。あまり口を開かないでボソボソと歌う姿。なんだかよくわからないけどカッコイイのが寺尾さんですね。

この頃の寺尾さんは石原プロに所属していて「西部警察」などにも出演していました。役名はリキでしたね。殉職シーン憶えてますよ。西部警察降板後、音楽活動に専念したい、ってことで石原プロを辞めたんじゃなかったかな??でもその後はヒット曲に恵まれませんでした。

いまはむしろ役者として確固たる地位を築いていますね。歳を重ねますます渋く、カッコよくなってきました。


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2013年10月30日水曜日

男の勲章 嶋大輔

1982年(昭和57年)4月28日発売、同年間チャート25位。
作詞/作曲/編曲_Johnny


横浜銀蝿Johnnyとくれば、次は嶋大輔でしょう。「男の勲章」は嶋さんの2枚目のシングルで最大のヒット曲。この年は1枚目「Sexy気分の夜だから」と3枚目「暗闇をぶっとばせ」もそれぞれ年間チャートで、88位と42位にランクされています。

この頃(1982~83年頃)の銀蝿一家は歌謡曲界の一大勢力でした。他に杉本哲太がいた「紅麗威甦(グリース)」や岩井小百合なんてアイドルもいましたね。


Johnnyさんはこの曲を自分で歌うつもりで書いたと、何かのインタビューで聞いたような記憶があります。でもかわいい後輩に譲ったのだと。結果的に大成功でしたね。

今年の春、嶋さんは芸能界引退宣言をし政界を目指しましたが、結局断念しました。ダメですよ、政界なんか行っては。「つっぱることが男のたったひとつの勲章だって」って言ってたじゃないですか。

なぜ芸能人はすぐ政治家の口車に乗り、客寄せパンダとなってしまうのか。それが芸能人の宿命だよ、と言われればそれまでですが、私は毎度悲しく思うのです。


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2013年10月23日水曜日

ジェームス・ディーンのように Johnny

1981年(昭和56年)11月18日発売、1982年間チャート16位。
作詞/作曲_Johnny 編曲_TCR横浜銀蝿RS


TCR横浜銀蝿RSのギターJohnnyのソロデビューシングル「ジェームス・ディーンのように」。Johnnyさん光ってましたよね。銀蝿の中でひとりだけサングラスの形違うし、ヒゲ生えてなくてお肌ツルツルだし。清涼感漂い誠実そうなこのルックスですから、女性ファンが放っておくはずもなく、バレンタインデーには4トン車一杯のチョコが届いたそうです。


おいでCome on 暗い瞳をして すねていないで 走りだそうぜ〜」おお、変わらずカッコいいですねぇ。当時私は銀蝿よりもJohnnyさんのソロの方が好きでした。次のシングル「$百萬BABY」もヒットしましたね。

ただ改めていま聴くと、Johnnyさんの声はメインボーカルとしてはちょっと弱いかな、と感じてしまいました。対して銀蝿の翔さんの声は、まぎれもなくメインボーカル声なんです。

Johnnyさんは典型的なバンドのギタリスト声なんですよね。例えばTHE STREET SLIDERSの蘭丸(土屋公平)、BOØWYの布袋寅泰のような。これは生まれ持った声質の話なので、どうしようもないことです。それでもカッコよさを減じる要素には全くなりえませんけどね。

活動停止後、Johnnyさんはキングレコードに入社し、的場浩司中山美穂などの制作ディレクターをしていました。そして現在はキングレコードの役員と関連会社の社長になっているそう。大出世ですね。今も昔もステキな生き方をされている方だと思います。


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2013年10月21日月曜日

ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編) TCR横浜銀蝿RS

1981年(昭和56年)1月12日発売、同年間チャート15位。
作詞/作曲/編曲_タミヤヨシユキ。


ツッパリHigh School Rock'n Roll(登校編)TCR横浜銀蝿RSの2枚目のシングルで最大のヒット曲(のはず)。バンド名「横浜銀蝿」の前後についているアルファベット「TCR RS」は略称で正式名は「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」。当時は単に「横浜銀蝿」という表記が多かったように思います。

白いボンタンに革ジャン、サングラスにリーゼントという当時隆盛を誇った「ツッパリ」の出で立ちで、時代を駆け抜けた横浜銀蝿。デビュー当時から「シングル、アルバムともオリコン1位を取り、ライブで武道館を満タンにして2年間でやめる」と公言していました。

2年が経過した時、アルバム1位と武道館満タンは達成されてましたが、シングルはこの曲での2位が最高だったため活動を延期した矢先「汗かきべそかきRock'n Roll Run」でついにシングルチャート1位を獲得しました。そして1983年末に3年3ヶ月の活動に終止符を打ちました(その後、多くのバンドと同様に再結成されてますが)。


勢いがすごいですね。いいとか悪いとか、上手いとかヘタとか、こちらにそんな判断をする隙を与えてくれません。ただ間違いなくスターでした。

コミックソングぎりぎりの歌詞がステキです。「ドカン」とか「ヨーラン」とか「赤テープ」とか、今の若者が聞いても何のことかわからないでしょう。時代ですねー。


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2013年10月19日土曜日

里見八犬伝 ジョン・オバニオン(John O'Banion)

1983年(昭和58年)10月8日発売、1984年間チャート77位。
作詞/作曲/編曲_Joey Carbone/Kathi Pinto


薬師丸ひろ子主演の映画「里見八犬伝」その同名主題歌を歌ったのがジョン・オバニオンです。彼はアメリカ人、すでに自国でデビューしてました。角川の仕掛けで日本向け洋楽とでもいうのでしょうか、歌詞は当然英語です。洋楽と歌謡曲のハーフみたいな位置付けの曲ですね。


これは私の心に深く刻まれてます。英語なのに歌えますもん。「アイドンウォンディスナーィトゥイーンド、ドンセイグッバーイ、ジャスホーミークォーズ、マイダーリン〜」。聴こえるままカタカナで書くとなんか凄い。

残念ながらこの主題歌は彼のアルバムには収録されてません。彼にとっては「おしごと」だったのでしょうね。「角川映画スペシャル 」と「里見八犬伝 オリジナル・サウンドトラック 」に収録されています。いまではこの2つでしか手に入らないでしょう。

映画も面白いですよ。いま観たらチープに見えるかもしれませんけど。千葉真一ファミリー(JAC)総出演のスーパーアクションです。

この年の薬師丸さんは「探偵物語」と「里見八犬伝」2本の主演映画が公開されました。探偵物語は1983年度日本映画興行成績で第2位(1位はあのタロとジロ「南極物語」)、里見八犬伝は1984年度の第1位(2位はこれまた薬師丸さんの「メインテーマ」)。80年代前半、薬師丸さんは低迷しつつある映画界を支える存在でした。まあアイドル映画が興行成績のトップにいること自体、低迷を象徴してるともいえるんですが、、、。


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2013年10月16日水曜日

探偵物語 薬師丸ひろ子

1983年(昭和58年)5月25日発売、同年間チャート4位。
作詞_松本隆 作曲_大瀧詠一 編曲_井上鑑。


薬師丸ひろ子探偵物語」。鮮烈な歌手デビューを飾った「セーラー服と機関銃」が発売されたのが1981年11月のこと。翌年の年間チャートで、あみん待つわ」に次ぐ第2位を獲得する大ヒット。同名映画での「カ・イ・カ・ン」の名セリフで若手トップ女優の地位を確立しました。リアルタイムではなくとも、そのセリフを知らぬものはいないでしょう。

薬師丸というと当然そっちを取り上げたくなりますが、私は続く2枚目のシングル「探偵物語」が好き。こちらも負けず劣らず大ヒットしました。

この時期歌謡界には松田聖子中森明菜という不世出の2大アイドルが君臨していました。そこに割って入ったのが薬師丸さんです。デビューも売れたのも明菜さんより若干早いですけど「セーラー服と機関銃」1曲ではまだ歌手として認められていたとは云い難い状態でした。少なからず一発屋の空気を感じたのです(歌に関してですよ。女優としては認められていたと思います)。

その空気を払拭し、女優だけでなく歌手としてもいける、それを証明したのがこの「探偵物語」。聖子)、明菜)、薬師丸)、アイドル歌謡界の天下三分の計が成立した瞬間でした。


なんという透明感。聴いているものを癒やす力があります。前曲よりも表現力はアップしつつも、まだこなれていない。このバランスが絶品なのであります。

松本さんの詞いいですね。私が特に好きなところは間奏後のサビ「透明な水の底 硝子の破片(かけら)が光る だから気をつけてね 好きよ… でもね… たぶん… きっと…」。何度でも聴きたくなります。

このレコードは両A面。カップリングの「すこしだけやさしく」も名曲です。


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2013年10月15日火曜日

想い出がいっぱい H2O

1983年(昭和58年)3月25日発売、同年間チャート20位。
作詞_阿木燿子 作曲_鈴木キサブロー 編曲_萩田光雄。


あだち充原作のTVアニメ「みゆき」のエンディングテーマ「想い出がいっぱい」。「H2O」最大のヒット曲ですね。最近は中高生の合唱曲として、よく使われていると聞きます。原曲に綺麗なハーモニーついてますから、合唱しやすい曲でしょう。


古いアルバムの中に 隠れて想い出がいっぱい 無邪気な笑顔の下の 日付ははるかなメモリー」なんていい詞なんだろう、、。出だしで心をワシ掴みされますもんね。阿木さん凄いです。

「みゆき」のアニメ懐かしい。あだち充はこの後「タッチ」でさらにブレイクしました。「タッチ」のアニメ主題歌を歌ってたのが岩崎宏美の妹、岩崎良美。そこそこヒットしてたなぁ、て記憶があったので調べてみたら、1985年度の年間ランクで39位。まあ中ヒットですか。彼女の代表曲でしょうね。

H2Oはこれ以外に「僕等のダイアリー」というのも知られています。来生えつこ/たかお姉弟の曲で、TV版「翔んだカップル」の主題歌。ヒロイン山葉圭役の桂木文、好きでした。


キスの味はレモンパイ 肌の香りラベンダー 〜 ドンマイドンマイ 今に見てろよ」。おお、、いい曲だ、、、、。こうしていま聴くと、こっちのほうが好きかも、、、。ドラマの内容にも合ってるし、よくできた曲だと思います。

「想い出がいっぱい」は廃れることなく、何年も歌い継がれていくことでしょう。



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2013年10月14日月曜日

哀 戦士 井上大輔

1981年(昭和56年)7月5日発売、同年間チャート67位。
作詞_井荻 麟 作曲/編曲_井上大輔。


劇場版ガンダム3部作の第2作「機動戦士ガンダムII 哀・戦士編」の主題歌「哀 戦士」。元ジャッキー吉川とブルー・コメッツ井上大輔(井上忠夫)さんが歌います。井上さんはご自身で歌うだけでなく、様々な歌手への楽曲提供も多数あり。ラッツ&スターシブがき隊あたりが有名ですかね。


ガンダムは流行りましたね。私が観たのはリアルタイムではなく夕方の再放送。私に限らずほとんどの人はそうだと思います。本放送の時はそれほどヒットせず、再放送で火がついた作品ですから。

映画はそのTVシリーズ全43話を3本の映画に編集したもの。3本それぞれに主題歌があるわけですが(3作目も井上さんが歌う「めぐりあい」が主題歌)、ガンダムの映画というとこの曲の印象が強いです。

井上さんのアツい歌、いいですね。Aメロのちょっとセリフっぽく早口で歌うところが好きです。「哀 ふるえる哀 それは別れ唄 ひろう骨も 燃え尽きて ぬれる肌も 土にかえる〜」

そしてサビ「死にゆく男たちは 守るべき女たちに 死にゆく女たちは 愛する男たちへ 何を賭けるのか 何を残すのか〜」

初期ガンダム世代にはたまらない1曲でしょう。

哀 戦士 - ファーストガンダム パック - EP
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2013年10月13日日曜日

赤いスイートピー 松田聖子

1982年(昭和57年)1月21日発売、同年間チャート12位。
作詞_松本隆 作曲_呉田軽穂 編曲_松任谷正隆。


数ある聖子ちゃんのヒット曲の中でも、私のベストワンは「赤いスイートピー」。何度聴いても飽きのこない、アイドル曲というワクを超えた時代の歌になってます。聖子ちゃんの歌はどれも好きなんですが、これは別格。

作曲の呉田軽穂とはユーミンのペンネーム。「グレタ・ガルボ」をもじって付けた名だと、当時ベストテンか何かのテレビで聞いた記憶があります。聖子ちゃんのような、ど真ん中アイドルに、松任谷由実の名は出せぬ、ということなんでしょうか。


うーむ、完璧です。無駄な要素がひとつもありません。本物のスターというのは、歌の巧拙の議論など関わりのない、世俗から超越したところに存在するもの。聖子ちゃんはただ自分の声で普通に歌うだけで、他を寄せ付けない高みにおわす本物のスター。それにしてもこの声は絶品ですね。

この曲最大のチェックポイントは、1番Bメロの「何故 知り合った日から 半年過ぎても〜」の「半年」の歌いまわし。そこは2番(歌詞で書くと「チラッと」ですが歌い方は「あっ」で音符4つ)の譜割りと同じに「半年」の「」と「」を2つの音符に分けるほうが自然な気がするのですが、聖子ちゃんは「はん」と1音符で詰めて歌っています(そのため1番の音符は3つになり2番と合わない)。

こういう歌中の引っ掛かり、つまづきのようなものは曲のアクセントとなります。ただ右から左へ流れていくんじゃなく、心に足跡を残すのですよ。その足跡を確かめたくて、何度も聴きたくなるのです。この譜割りはユーミンの指示なのか、たまたま聖子ちゃんがそう歌ったのか。どちらにしてもステキな選択でした。「半年」という言葉が生きてますもんね。

あと、2番のサビが繰り返すところの、歌のクロス。私はこのクロスするボーカルというのが好きじゃないんですが、この曲は許せます。ここはクロスするのが必然だと感じるから。

繰り返しサビの歌詞は「好きよ 今日まで 逢った誰より〜」なんですよ。煮え切らない彼に対して「好きよ」と、彼女のほうから一歩前へ出るわけです。その想いが、間を開けずクロスして突っ込む歌とリンクして胸に迫ってくるのです。

かなり熱く、ひとりよがりの論を展開してしまいました。それでも言い尽くせないほど、魅力が詰まった歌なのであります。ノスタルジーからくる過大な美化だったらすみません。


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けんかをやめて 河合奈保子

1982年(昭和57年)12月5日発売、同年間チャート64位。
作詞/作曲_竹内まりや 編曲_清水信之。


アイドル「河合奈保子」は1980年デビュー。西城秀樹の妹というキャッチフレーズがついてましたね。「HIDEKIの妹オーディション」で優勝して芸能界に入ったわけですから当然です。明るく元気で可愛らしい顔立ちと、いまのグラビアアイドルにも引けをとらないグラマーなスタイルで人気がありました。同級生に熱烈なファンがいたのを憶えています。

そのキャラクター同様、発表される曲も元気なものが多かったです。まあアイドルですからね。そんな河合さんの10枚目のシングルである「けんかをやめて」は、元気な女の子からちょっと大人へ、そんな転換点だったのではないでしょうか。


いかにも「竹内まりや」って雰囲気の曲ですね。「スマイル・フォー・ミー」とか明るい曲の彼女の声は、まるでワックスがかかっているかのようにツヤツヤ。それが少し眩しすぎて苦手だったのですけど、この曲はいい具合にワックスが抑えられていて私の好み。しかし、、歌詞の世界の彼女は酷い女です。

」は思わせぶりな態度で、ふたりの男性の心をもてあそびます。その結果、男たちは彼女を奪い合い、諍いを起こしている。それを見た「」は「けんかをやめて 私のために争わないで、、」と懇願するのです。

きっと彼女はどっちも好きではないのでしょう。「ボーイフレンドの数 競う仲間たちに 自慢したかったの」ただそれだけなんですよ。このキレイなメロディで河合さんの声でしっとり歌われると、まるで彼女が失恋でもしたのかと勘違いしてしまいそうになります。これは悪女ですよ。

まあそんなことは彼女が八重歯を覗かせニコッと笑えば、その可愛さで許されてしまうのでしょう。美女は世に憚るものです。

けんかをやめて - シングルA面コレクション
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2013年10月12日土曜日

悪女 中島みゆき

1981年(昭和56年)10月21日発売、同年間チャート69位、1982年間チャート6位。
作詞/作曲 中島みゆき 編曲_船山基紀。


中島みゆきは、どちらかというと苦手なタイプなんですが、この「悪女」だけは好きでした。発売は1981年の10月で、この年の売り上げランクでも69位に入ってます。昭和の頃は1曲の寿命が長いものが、わりと多かったですよね。

悪女」はシングルとアルバム(寒水魚)ではアレンジが全く違います。まずはシングルバージョン。


子供の私はサビの折り返し「いかないで」のところで、オトナの女を感じドキドキしたものです。耳元で囁かれているかのようで。歌い出しの「マリコの部屋へ 電話をかけて〜」と、いきなり個人名が出てきたのにもドキリとさせられました。

そしてアルバムバージョン


おそらく、中島みゆき本人や演奏してるミュージシャンはこっちが好みだったのでは、と想像します。歌謡曲好きな子供の私には、ちょっと大人すぎて、こっちはイマイチ馴染めませんでした。いま聴いてもやはりシングルバージョンが好きですね。

今回調べていて、さらにもうひとつのバージョンを発見。


これは1987年発売の「歌暦 」というライブアルバムに収録されています。ライブバージョンでアレンジが全く別もの。歌い回しはアルバムバージョンに近いです。やっぱりシングルバージョンは嫌いなんですかね。


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ウエディング・ベル シュガー

1982年(昭和57年)11月21日発売、同年間チャート13位。
作詞/作曲_古田喜昭 編曲_平野融。


シュガー」はミキ、クミ、モーリ、女性3人のコーラスグループ。「ウエディング・ベル」はデビュー曲です。いきなりの大ヒットでしたが、その後はこれといったヒット曲に恵まれませんでした。3人とも声が綺麗でハーモニーが美しいのに残念。PUFFYが2009年にカヴァーしています。

サビの最後「くたばっちまえ アーメン」以外は繰り返しのない歌詞。言葉数が多く込み入った歌詞ですが、聞き取りやすくストーリーがよくわかります。


美しいアカペラで始まり、ガットギターのきざみを1小節はさんでのAメロ。メインボーカルと掛け合いのコーラスが面白いです。全部で3番までありますが、この掛け合いは2番にはありません。代わりにサックスが合間を縫っています。これがドキッとするのですよ。コーラスが来るぞ、って構えてるところをうまく肩透かしされて。で、3番でまたコーラスが出てきてホッとする。よく考えられてます。

ミキさんの地声と裏声とを器用に使い分ける歌声は、まるで天使のよう。特に好きなのは、2番Aメロの最後「遠くに聞こえてふらつきそうだわ」の少し甘ったるい感じの歌いまわし。その「〜ふらつきそうだわ」から続くサビの頭「そうよ〜」の切り替えは見事です。

もうひとつ、3番のサビ後半「〜どうもありがとう招待状を 私のお祝いの言葉よ〜」あたりの、いろんな感情が折り重なっているのを伝えるニュアンス。もっと評価されていいボーカリストですよ(私が知らないだけで、すでに充分に評価されてますか?)。

この曲のちょうど一年後に、続編というのか歌詞違いの「ウエディング・ベルⅡ」が発売されています。残念ながらあまり売れませんでしたが、、。世の中、そんなに甘くはないのですね。


こっちの歌詞は、結婚後に亭主関白となってしまった夫への恨みつらみ。

オケと頭のアカペラは、おそらく元のを使い回したのでしょう。どう聴いても替え歌レベルな感じがしてしまい、残念な気持ちになります。ちょっと企画が安易すぎですよね。撃沈したのも頷けます。

強烈なインパクトの歌がヒットしてしまうと、その後の展開が難しくなります。シュガーも一発屋のカテゴリーなんですかねぇ、、。


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2013年10月11日金曜日

ハイスクールララバイ イモ欽トリオ

1981年(昭和56年)8月5日発売、同年間チャート4位。
作詞_松本隆 作曲/編曲_細野晴臣。


イモ欽トリオ」は当時視聴率男と言われた欽ちゃん(萩本欽一)の番組「欽ドン!良い子悪い子普通の子」から生まれたユニット。山口良一(よしお)、西山浩司(わるお)、長江健次(ふつお)の3人組です。欽ドン!懐かしいですね。毎週観ておりました。

この頃の欽ちゃんはスゴかった。月曜「欽ドン!」水曜「欽ちゃんのどこまでやるの!?」金曜「欽ちゃんの週刊欽曜日」と一日おきにゴールデンで番組持ってたんですから。どれも視聴率30%前後あったんじゃなかったかな?それ以外の日でも「ぴったしカンカン(たしか火曜日)」とか出てたので、テレビをつければほぼ毎日、欽ちゃんがいたわけです。


ハイスクールララバイ」はヒットしましたねぇ。何週も連続でチャート1位でした。作曲の細野さんがアレンジもしていてサウンドはモロYMO。イントロや間奏の振付(YMOのモノマネ)もユニークです。

ベストテンに長くチャートインしていて飽きてきたのか、サビ「100%片思い〜」の「片思い」が、ある時期からそこだけ替え歌になりました。歌詞を視聴者から募り、毎週違う言葉で歌うのです。ひとつだけいまでも憶えてる歌詞が「100%たこ焼き」。字足らずなんですけどね。違和感ありまくりだったせいで印象に残っています。

しかしこれはいま聴くと、うーん、懐かしさだけ、って感じです。もっと感動するかと思ったのですが、、、。当時はイモ欽トリオが出てくるの楽しみだったんですけどね。フツオくんの歌も酷いとはいいませんが、、、、凄い、、、。

流行りものは廃れもの。ブレイクしすぎた企画物ってのは、時の試練に耐えられないのでしょうか。


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